金子信雄 ガキ大将
ー愛しき面倒な演劇人 名プロデューサーが明かす知られざる素顔(18)ー(悲劇喜劇2020年9月)
金子さんと深い付合いになったのは、それでも何本か芝居を共にした後、小幡欣治の喜劇「にぎにぎ」なんて喜劇を宝塚劇場でやってヒットした後、芸術座で矢張り小幡欣治の「女の遺産」という語をやってそこそこの当りをとり、それを大阪へ持って行った時、金子さんと歴史に残る大論争をやってからだ。大論争は周囲が皆が覚えている位口角泡を飛ばし互に距離は一米以内に近づき、時に険悪になる位の真剣目興奮状態のものであったが、しかしテーマは演劇では無く哲学でも宗教でも政治でも無く、それはジャガイモなのであった。
「女の遺産」大阪公演は、少人数で座内にモメ事もなくのんびりと進行して客の入りも良く、私は心配事の何も無い旅公演の良さに、命の洗濯とばかり神経のネジを全部弛めて、毎日のんびりのあまり楽屋の賄いに、フランス滞在中習い覚えた “ポ・ト・フー”を作ることにした。“ポ・ト・フー”はフランスの全くの家庭料理で、牛のスネ肉の大きなかたまりを、玉ネギ、人参、かぶなどと共に煮込む。 味付けに何も入れない、塩さえ入れない。塩はテーブルで出来た皿にふりかする。いわば“おでん"の様なもので、まことに簡単、大量に作れ、料理の素人がやっても間違いが無い。私は大阪の街をめぐって、結構入手の難しいスネ肉のかたまりをやっと見付け、次いで至難の業であった、玉ねぎに刺す “ジロッフル“(クローヴ)をやっと高島屋で発見して、舞台の奈落で料理にとりかかろうとした。 と、頼みもしないのにそこに現われたのが金子信雄である。
金子さんは、文学座からデビューして、後東映のヤクザ映画路線でヤクザの組長役がブレイクしてメジャーになり、丁度その頃は趣味の料理が高じて、テレビで自ら創作した料理を紹介する、”金子信雄の楽しい夕食〟という連続放送の番組が評判となって、“料理の金子信雄"としても評価を確立していた。おまけに荻窪でフランス料理屋を開いてそのオーナーになるなど、「僕は役者で売れなくなっても、これがあるから。」などと人差指を包丁に擬して料理の恰好をするなど、料理についてはウルサイ存在だった。それが現れたのだ。私が私の“ポ・ト・フー”にとりかかるその時に。
「中根さん、ポ・ト・フーやるんだって?材料あったかい。」
「牛のスネ肉のカタマリありましたよ。 やっとめっけました。 大阪じゃ肉をカタマリで料理するってことないんですかね。肉屋のオヤジがスネ肉のカタマリ、へぇ2キロのカタマリ?へぇ? 何しまんのそんなん。とか云やがって。」
「あはは、こっちはコマ切れにでもするしかないんだろ、スネ肉は。よくあったね。で野菜は?」
「勿論玉ネギ、ニンジン、カブ、こりゃ簡単でしたよ。」
「え、そいでジャガイモは?」
「ジャガイモ?そりゃいらないでしょ。」
「ジャガイモ要るよお、ジャガイモ無きゃポ・ト・フーにならないじゃないか。」
この一言にカチンと来た。 39分に及ぶ大論争はここから始まったのだ。向うはフランス料理屋のオーナーを笠に着て、何とポ・ト・フーにジャガイモを入れると暴論を仕掛けて来る。私はフランス滞在3年の面子にかけて譲れない。
「ポ・ト・フーはジャガイモを入れるから旨くなるんだ。入れなきゃ目だよ」
「ジャガイモを入れるポ・ト・フーなんて、フランスに3年居て、ポ・ト・フーをずっと食ってたけど聞いたことない。肉ジャガ作るんじゃないんだから。 大体ジャガイモなんて入れたら肉も何も全部イモ臭くなっちゃう。 イモは入れません。入れるのは玉ネギと人参とカブだけです。でなきゃジロッフルの香りが台無しだ。」
金子さんも肉ジャガの一言にいたくプライドが傷ついたらしく、ムキになった。
「そんなんなら俺は手伝わねえ、味見をしてやろうと思ったんだが。」
そんなこと誰も頼んでないよ金子さん。
パリの屋根裏の下宿で3年間、アラディンのストーヴの上で何回ポ・ト・フーを作ったろう。1回作れば3日は保つ。3日食い延ばして野菜を継ぎ足せば5日は保つ。こうして私はパリの貧乏学生の生活を乗り切った。何のテレビの料理番組如き、私のポ・ト・フーは筋金入りなのだ。
そして私は論争に勝ち、私流というかフランス流のオリジナル版ポ・ト・フーを作った。
昼の部に作り始めて夕方夜の部の開演にかかってやっと仕上がった。
金子さんは来るでもなく食うでもなく、ウロウロしていたが、遂には好奇心抑え難くという様子で入って来て一皿食った。
「ウン、これはこれでウメエか。スープがまあいい。」
以来金子さんとは仲好くなった。
それから何年か経った。その間金子さんと益々多く仕事をする様になった。 蜷川幸雄の東宝デビュー作というか大劇場の日生劇場デビュー作シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』にも出てもらった。役はロレンツォ神父だった。東映のヤクザの組長から小幡欣治の「にぎにぎ」の田舎政治家、ロレンツォ神父とレパートリーの幅広さは驚くばかりで、その頃のある日蜷川から電話で、「今金子信雄と西村晃が来ててよ、『ゴドーを待ちながら』2人でやるから演出しろって云うんだけどどうしょうか」と云うのでびっくりしたがある。何をやっても上手くはまるこの役者を私頼りにして、その内奥さんの丹阿彌谷津子さんとも仕事上近しくなり夫婦ぐるみで付合った。
その頃、Aという評論家が居て、私は天敵として嫌った。蜷川幸雄が未だ有名になる前の時期の事、Aは毎公演これでもかという程悪評を書いた。一方自分が親しい演出家・劇団の仕事は、鳥肌が立つくらい誉め言葉を逃れるという評論家だった。
金子さんと話している時、その男の話が出て、私はああいう奴は殴るしか無い、いつかどっかで出会ったらやってやろうと思うと云った。私と同じ東京市下谷区の生れである金子さんはこういう話にすぐ乗る方だ。
「そうだな、あいつは殴るっきゃねえな。」
ある朝私の家に電話がかかって来た。金子さんだ。
「おいAの奴な、タベ帝国ホテルのバーで会ったらあんたの云う様にやな奴だから、一寸締めといてやったよ。」
「え、え、どうしたんですか。殴ったんですか?」
「いやな、椅子から引きずり下して、馬乗りで何発か殴って、その辺にあった果物ナイフを首に当てて脅かしたら、 たすけてたすけてって泣き声出しやがった。」
「そういう時は金子さんその時に電話下さいよ。タクシーで駆け付けて参加するから。いい場面を見損なった。」
「今度からそうするよ。でもあんたの分もやっといたんだから。」
山口の田岡組長が、金子さんの映画の組長を見て、「あらあモノホンや」と云ったという逸話があるが、モノホンのヤクザ並みの迫力で脅されたAも、さぞ怖かったろうと思うと可笑しい。
金子さんとはよく呑みもした。陽気で、昭和の時代の人によくあるハチャメチャな酒だった。
大阪だったか名古屋だったか、もう記憶が定かではないが、芝居の公演がハネた深夜4、5人で金子さんに奢って貰ったことがある。 オカマバーだった。金子さんはそういう連中をからかいながら呑むのも結構好きだった様だ。オカマ達にはえらく人気があり、 一座は盛り上って金子さんはいかさか盛り上り過ぎた。小道具さんの若い少年が一緒に来ていたのを、オカマ達に手込めにしろと命じて大騒ぎとなり、少年は殆ど命がけで半泣きになりながら、3人の屈強なオカマ達に折重なる様に組み敷かれ、今しもズボンを脱がされそうになるのに抵抗してた。金子さんは東映の方の目付きでそれをニヤニヤ眺めていたがやおら杯を置くと、大騒ぎの方へつかつかと歩み寄りビシリと云った。
「いい加減にしてやりな。」
大した貫縁だ。 オカマ達はささっと少年を解放し首うなだれて席に戻る。
そしたら金子さんは云った。
「どうも呑み足りねえ。水割りだとかこんなもん呑んでるから駄目なんだ。今から俺が酒の呑み方を教えてやろう。」
そして突如水の入ったバケットにウィスキーを瓶からドボドボと丸ごと注ぎ、ガシャガシャと両手で持ってかき廻しで、ゴクゴクと呑んだ。
「これを廻してな、みんなで呑むのよ。いいかい。」優しく教師が生徒に教える様に云ってバケットをとなりに廻す。みんなこわごわ呑む。
一同したたかに酔っぱらったのは云うもない。
したたかどころではない。ベロベロに酔ってバーを出た。金子さんは足元もヨロヨロで今にも腰を抜かしそうだ。私は当然ホテルを送ることになる。深夜も1時頃ホテルのロビーはガランとしてフロントのスタッフが1人2人ニヤニヤこっちを眺めている。その内の1人が寄って来て云った。
「金子様大分お呑みの様ですね。こんなにというのはお珍しい。 部屋迄お見送りお手伝いしましょうか。」
幸いにも私は“お手伝い”を断って、金子さんの腰を支えながらエレベーターで上階に上った。広い廊下のベージュの絨毯につっかえて時々倒れそうになるのを後ろから腰を抱いて支えてあげる。
すると突然、金子さんが私の手を離れて突進した。前のファスナーを開けて、一物をとり出した。
「エヘヘエ、見てろ。」
絨毯に派手にオシッコをまき散らし出した。
「金子さん、何すんのやめなさい。」
「うるせえ、どいてろ。」
オシッコをまき散らしながらヨロヨロと歩いている。
結局判ったのは、このジイサン、オシッコで廊下にかねこと大書していたのだ。
私はあわてふためいたけど止め様もない。年寄りのオシッコは長いけど私には5分も続く様に思え、さっきの ”お手伝い”しようというスタッフが上って来ない様、オシッコの間ひたすら心中祈った。
翌朝早く私は夕べの呑み会の一部始終を、金子さんの女性マネジャーに詳しく、厳然と話し、特にホテルのかねこの件は、ホテル側にバレて何か云って来るかも知れないので念の為と思って伝えた。
その夜の公演で会うと、金さんは母親にしかられた子供の様に悄気かえっていた。
「どうしたんです金子さん、きのうの酒は面白かった。でも一寸やり過ぎでしたよ。」
「それでうんと怒らいた。丹彌さんから電話かかってきた。怖かった。
これ以上無い位悄気で、ケンカに負けた上に親に叱られたガキ大将の様だった。
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