中根公夫 愛しき面倒な演劇人 名プロデューサーが明かす知られざる素顔

早川書房「悲劇喜劇」連載中「プロデューサーの大遺言」

ジョン・マーク 天皇陛下とジョン・マーク

ー愛しき面倒な演劇人 名プロデューサーが明かす知られざる素顔(25)ー(悲劇喜劇2021年11月)

 “ジョン・マーク”は、1968年東宝が帝劇で上演した、ロンドン発のミュージカル「オリバー!」の主役オリバー少年を演じた当時7歳の少年であった。イギリスの法律で5月から7月迄3ヶ月もの上演期間の子供の渡航は学校の関係で不可ということで、彼は他の15人の少年達と共にニューヨークでのオーディションで選ばれたアメリカ人である。

 ジョン・マークは美しい少年だった。輝くような金髪に丸小さな碧眼、真白な肌に大き過ぎない口の紅い色、とラファエロの描く天使のような愛くるしい可愛い子で、東宝宣伝部総がかりの大売り出し工作でたちまちのうちにテレビ雑誌のグラビアを埋め尽し、メディアのあれこれにジョン・マークの出ない日は無い状態となり、5月5日の初日のはるか以前に、ジョン・マークは“オリバー坊や”と呼ばれる日本の一大アイドル少年になった。

 しかし完璧な天使にも問題はあった。家庭環境だ。両親は早くに離婚して母親ひとりに育てられたが、子供ひとりに保護者ひとりが付いて来た来日の時点で、母親のヘレンはアルコール中毒だった。殆ど一日中酒臭かった。そして未だ30そこそこの若さのヘレンは酒を呑むと男が欲しくて欲しくてたまらなくなった。私達東宝側としては、天使ジョン・マークの母親のこの状態を3ヵ月マスコミに隠すのに大変な苦労をした。バレたら天使は天から墜ちてしまう。今まで持ち上げるだけ持ち上げていた日本のマスコミのそういう場合の容赦の無さは考えるだに忌わしい。 その時点で観客の入りがガタ落ちになるのは火を見るよりも明らかだ。一方火の点いたマスコミは毎日毎日ジョン・マークの日々の動静を聞いて来る。聞いて来るだけでなく、各社競争で様々な取材を仕掛けて来る。

 一方ジョン・マークにはもう1人ダブルキャストの、ダリル・グレイザーという主役のライバルの少年が居た。 ダリルは9歳でジョンより年令も上だし、「オリバー!」の出演経験もブロードウェイですでに2年。ジョンよりずっと格が上だ。但ジョンの様には全然可愛くない小面憎い子であった。

 当然ジョン・マークの母親ヘレンとグレイザー夫人は犬猿の仲、グレイザー夫人はヘレンを軽蔑し切って口も利かぬ間柄。我々は年中酔っ払いのヘレンと謹厳実直夫人のグレイザーが何時大喧嘩して、それが外に洩れ、マスコミの餌食となるかと爆破装置を抱える思いであった。

 もっと大きな問題もあった。ジョン・マークが余りにもアイドル化してテレビ出演やコマーシャル出演の申し込み、ファッションやら他分野からの撮影のオファー、インタビュー等々が東宝宣伝部に殺到するに至ってミュージカル「オリバー!」とジョン・マーク人気との乖離現象が起き始めたのだ。「オリバー!」の宣伝については宣伝部がよろしく奮闘していたが、原作は英国の著名な作家チャールズ・ディケンズで、ストーリーは孤児オリバーが偶然金持の祖父に見出されて云々と云っても、日本のマスコミが見出し一行で要約しチケットを買いに行く動機にはなりにくい。 ブロードウェイ・ミュージカルの様な派手さが全然無い。

 ここへ来てジョン・マーク人気の異常現象と「オリバー!」のチケット購入という現実は日を追って遠く乖離して行き、5月5日子供の日”初日から7月20日夏休みまで、大きな帝劇の客席を家族連れの客で埋めるという東宝の冒険的目論見は先行きが煙しくなって来た。

 そこで駆け出しの若手プロデューサー、弱冠29歳の私の頭が天才的にひらめいた。

 きっかけはロンドンからの資料の中の新聞の見出し”女王は「オリバー!」を再度見にいらした“である。エリザベス女王が2度御覧になる程すぐれたミュージカルで、それは又イギリスの上流階級もこのミュージカルを認めたということである。当然第1に浮んだのはイギリスを真似て、天皇陛下を御招待するということだ。

 しかし、この頃はまだ昭和天皇の時代。御高齢のことでもあり、第一天皇を劇場に招待するなど想像もつかないという頃である。天皇にこのアイデアが行き着く迄の気の遠くなる様な道のりを想うと実現不可能と思わざるを得ない。

 資料を見ればジョン・マークは1960年6月3日生まれの満7歳。初日の5月5日こどもの日を過ぎてすぐに8歳、日本で云えば小学2年である。所がなんと、なんと、徳ちゃんと国民の多くが愛称で呼ぶ、浩宮徳仁皇孫殿下(現天皇陛下)は学習院初等科3年、1960年2月23日生れの満8歳。ジョン・マークと同い年でいらっしゃるではないか。浩宮さまを、徳ちゃんをオリバーにお招びしたら、国民全体のアイドルとなって8年になる徳ちゃんとジョン・マークのイメージは相互作用を起し、我々の抱える懸念は一掃され「オリバー!」は国民皆が愛するミュージカルとなり得る。

 皇室を宣伝に利用するという向きもあるかも知れないが、浩宮さまも初等科3年、ロンドンですでに8年目のロングランとなり、ニューヨークでも世界のその他の多くの街でも大ヒットのロングランを続けている、ブロードウェイ・ミュージカルとは一味違った演劇的文学的作品を御覧になるのが悪からうはずがない。その辺りの文句が出たら、1945年に学習院初等科に入学した、ナルちゃんの大先輩の私が、四谷の学習院に乗り込んで初等科の先生なり、宮内庁のお役人なり、説得して見せる、と東宝の会議では啖呵を切って、尻込みする東宝の古い面々を乗り切った。

 所が皇室にはその頃まだ学習院人脈が生きていて、浩宮さまの侍従浜尾実という方が学習院出身であることが分った。それを話していて浜尾さんへのアプローチをどうしよう、侍従から話すのが一番早そうだ、という時に横から演出部のチーフ古川清が突然割って入った。「僕、浜尾とは親戚だけど。」「なぬ、ほんとに?」考えてみれば古川清は古川ロッパの息子、ロッパはそもそも男爵の出。浜尾さんと親戚で不思議は無い。「すぐお目にかかり度いんだけど一寸この話手伝ってくれる?」「いいよ。」電話を手にとってその場で4月某日何時宮内庁で私と古川清で面会と、約束をとってくれた。ツキは我に有り、この話上手く行くかも、と望外の幸運に勇み立って浜尾さんとお目にかかった。古川は慶應だが、最初から当方は学習院の後輩と通じていたので、浜尾さんはこちらの話をとても丁寧に聞いてくれた。こういう場合学習院の先輩は後輩の持ち込む相談を決して悪いようにしない。

 翌日午後には浜尾さんから電話を頂き、五月五日のこどもの日、初日の公演を浩宮様は御覧になる、警備その他事務上の打合せは近日中直ぐにでも双方の事務方で、と完璧且速やかで、その夜私は有頂天のあまり酒に走った。


 5月5日の手配をした。一番問題となる取材の記者やカメラマンへの対応。何しろ今回申し込んで来た数が凄い。 芸能・文化部だけでなく社会部記者までその他多勢。テレビ全局。浩宮さまをジョン・マークとダリル・グレイザーがお迎えすると流したからだ。警備との兼ね合いを色々考えた末、結局宮さまは入口にはスッと入られて2階に直ぐ上り、2階にある貴賓室の前にまとまって構えているカメラと記者たちの前で、その場でお待ちしていたジョン・マークがカメラから見て右側の手前、ダリル・グレイザーがその向う側で、左側の宮さまから握手を賜わる。 背景には菊田一夫と、英国側のジェネラル・プロデューサー、ドナルド・オルベリーが立つという構図で落着。取材側も、宮さまとジョン・マークの握手の写真を完全に保証されて大納得。

 みんなが期待して浩宮さまをお待ちした。 ジョン・マークもダリルも衣装の空色のモーニングでおめかししダリルは少し緊張気味ジョンは天真爛漫にニコニコしている所へ、下から営業係若手の伝令が走って来た。青ざめて引きつっている。耳元でささやくのを聞いて私も血の気が引き、倒れそうになった。只今殿下御到着。入口を入られる所で佇立してお出迎えする整備の人や帝劇、東宝の人員の間から突然割って入ったジョン・マークの母親が、宮さまの手を取って「ハアーイプリンス アイアム ジョンマークスマザー!」と叫びながら無理に握手をしたとのこと。無論ヘレンは酔っている。

 私は頭に血が上ったが報道陣の手前、全く平静を装わねばならぬ。バレたら全てが台無しだ。 幸い数十人の取材は全員2階に固めてある。

 宮さまは、酔っ払ったアメリカ人のオバサンの突然の失礼にも全く動ぜず、何事もなかったかの様に到着した。 そして先ずダリル・グレイザーに、そしてジョン・マークに握手を賜った。その振舞いは将来の天皇にふさわしく、8歳の威厳を保ち、立派であった。背筋を真っ直ぐにのばし、自然に手を差し延べて。ジョン・マークは子供らしくニコニコしながら握手をし首を垂れた。

 素晴らしい瞬間だった。騒々しいくらいにカメラのシャッター音とフラッシュが集中した。徳ちゃんほその方に少し驚かれた様だった。そして2人の少年は舞台へと走り、宮さまは貴賓室へと入られた。私は公演の成功を確信した。

 ナルちゃんとジョン・マークの握手の瞬間の写真はありとあらゆる新聞雑誌のハイライトとして誌面を飾り、テレビはNHKの当日7時のニュースを始めとして、全局の”こどもの日”のトピックとして国民すべてが見るところとなった。

 ジョン・マークのおっかさんのことは誰の関心も引かずに、又宮内庁側からも粋なことにとりわけ注意も無く、暗黙のうちにすべてが済んだ。

 浩宮さまはこの初めての観劇に大変に興奮され、その夜宮邸に帰られても興奮収まらず、ソファの上を舞台に見立ててその上に乗り、昭和天皇始め御家族の皆様にこのミュージカルを実演して再現して御覧に入れた、と仄聞している。

 それから23年経った1991年、浩宮は皇太子殿下となっていて、イギリスで開かれたジャパン・U・Kフェステイバルの総裁を勤められ、「タンゴ・冬の終わりに」でそれに参加した私も、冬になって宮邸で開かれた慰労パーティーに招ばれた。殿下はウィスキーを豪快にガンガン呑まれながら談笑していたが、私はふと殿下に尋ねた。

「初等科3年の時、帝劇で「オリバー!」というミュージカルを御覧になったのを覚えていらっしゃいますか」

 殿下は満面笑みを浮かべて答えられた。

「オリバー!あれは面白かったですねえ!あの時『ジョン・マークさん』と『ダリル・グレイザーさん』に会いましたねえ!」

 殿下はジョン・マークのみならず、ダリル・グレイザーの名まで覚えていらしたのだ。私は驚き、感動した。

 ジョン・マークがその後どういう大人になったかは、誰も知らない。

#演劇 #プロデューサー #オリバー!