中根公夫 愛しき面倒な演劇人 名プロデューサーが明かす知られざる素顔

早川書房「悲劇喜劇」連載中「プロデューサーの大遺言」

水谷八重子こと水谷良重

ー愛しき面倒な演劇人 名プロデューサーが明かす知られざる素顔(19)ー(悲劇喜劇2020年11月)

 5、6年前六本木の角の雑踏の中で私を見付けたのは良重の方だった。私は車庫に入れた車を出してきて乗せて貰う所だった。人ゴミの中でも良重は相変らず華やかさを失わず、背が高いから人より頭一つ抜け出て笑っていた。

「何よこんな所で、高校生じゃあるまいし。」

 大きな声で悪たれ口をたたくのも昔と変らない。なつかしさがこみあげた。

「よおしばらく、水谷八重子なんてなっちゃって縁が遠くなったねえ。」

「何よ、良重でいいのよ、あたし本名好重なんだから。」

「そういやそうだ。」

 歩道のヘリで話していると急に昔のことを思い出した。同じ様な状況で歩道で話をしていたのは50年以上も前の、有楽町にあった日劇の前の歩道だった。但し良重はほとんど裸で、頭とお尻に真赤な長い羽根を思い切り沢山くっつけ、ブラとパンツとヒールのブーツにはスパンコールと光る宝石粉いのものがキラキラと輝いていた。その格好で人の行き交う有楽町の日劇前の歩道に立っているのは、若い娘がということもあって真に妙であった。

 地震があったのだ。私は日劇の良重のショウ場面の舞台稽古を見ようというので日劇の客席に居た。とその時稽古中にかなり大きめの地震が来た。稽古はストップ。同時に良重は舞台から客席に跳び下り、客席の通路をもの凄い勢いで走って来た。通路の際に座っていた私の腕をつかむと叫んだ。

「怖え逃げよ!」私も地震は大嫌い。半分腰が浮いてたところだから一も二も無く一緒にそのまま表へ飛び出した。私は背広だけど良重は完璧なショウガールの格好。 地震は外へ出てみると大した事無く収まって、表の通りは何時に変らぬ有楽の雑踏。 あらあ、とあたりを見廻して、改めて良重の格好に気づくも良重はまだガタガタ震えている。メイクも派手だから顔色は分らないが多分真青だったろう。

 余程の地震嫌いと見えると笑って、もう大丈夫収まったよと中へ入る様にうながすが良重は頑として入らない。 余震が来ると云うのだ。良重が何処へ行ったか、中でスタッフが心配してるだろうと、私は良重を置いて一人中に入り、前の歩道に良重は居るよと皆に教えて歩道に戻ったら居ない。良重は消えた。

 後で聞いたら、新築で建物の丈夫な帝劇に、裏通り伝いに歩いて避難したとのこと。

 私はそれを聞いて、あの格好のまんま?と笑ったが、あいつならやりかねないとも思った。良重の変っている所は、終始劇場の外に居て、頭とお尻に一杯の赤い羽根を飾って裸の様なその姿で、全然人目を気にしない、一種の天真爛漫な怖いもの知らずだ。

 大体良重と初めて出会ったのは、こっちが帝劇9階の稽古場の控室で、何やら難しい仕事をしている最中、1階からずっと通ずる階段の方から、「バーン」とか「バキューン」と異様な男女の声がして来た時だ。声の主は、今を時めくスター女優でありショウガールである水谷良重と、歌舞伎の若手俳優として人気絶頂の時代だった片岡孝夫だった。2人は手に手におもちゃの銃を構えている。おもちゃの銃は音は出ないが、引金を引くとビヨンと弾は飛ぶ。2人は弾をつめかえつめかえ、音の出ないかわりに、「バーン」とか「バキューン」とか口で音を出して、互に打合いながら階段を9階迄上って来たのだ。

 私は両手を拡げて2人が稽古場に入るのを禁じた。稽古は、自分は怒鳴りまくるくせに稽古場の静寂については人一倍神経質な蜷川幸雄の稽古中だ。そんな所へ入って来て、「バキューン」なんでやられてはたまらない。

「良重さんも孝夫さんもこっから先は駄目。下へ行って楽屋でやんなさい。」

 2人はバーン、ダーンと叫び撃ち合いながら階段を下りて行き、6階あたりで誰か偉い役者の楽屋に侵入して追い出されていた。

 良重も孝夫も20代も後半の頃である。この子供っぽさはどうだろう。

 子供っぽさ余っていたずらが過ぎ、毎度幕内を騒がせたのが良重だ。

 何のどういういたずらで我々スタッフが、勘弁ならねえとなったのかどうしても思い出せないのだが、兎に角宝塚劇場の公演で、第一部幕開けにショウがあったのだから、 長谷川一夫さんの「東宝歌舞伎」の公演だったのだと思うが、いっぺん良重をこらしめてやろうという話にまとまった。 そうなると話は早い。たちまち企画は成立し、各々が下ごしらえに走った。首謀者は私だ。私はこういう事には天才的な才能を発揮する。

 良重は第1部のショウの幕開け、文字通り緞帳の上がると共に、ジャンジャンジャン・ジャンジャカジャッジャジャー、思い切り派手な開幕のオーケストラ音楽と共に、赤い大振袖で踊り始める。舞台の真中、数十名の踊り手を従えて、ピンスポットで抜かれている。それがこの舞台の幕開けだ。良重が踊り始めると同時に音が鳴り、緞帳が上がる。 責任重大であるし、役者冥利に尽きるだろう。良重は毎日張り切って踊っていた。

 私はこの幕開けを使ってひとつ仕掛けを打つことにした。先ず音響さんに計略を説明し、業務用の大型テープレコーダーを1台借りる。その頃のことだ古いオープンリールのテープレコーダーだ、やたらと重い。それを音響効果の若い人達に、客席後ろの音響室から舞台3階上手の良重の楽屋前の廊下に選んでもらう。その頃宝塚劇場は生のオーケストラで公演してたから、開幕時良重が踊るジャンジャカジャッジャジャーは、あらかじめ録音しておいてもらう。

 次に3階の楽屋の者全員に、事の次第を良重にバレない様にひそかに耳に入れて置く。でないとパニックになったら大変だ。みんな喜んで協力を約してくれる。最後に舞台事務所に話を通して置く。幕内支配人の森元さんも、舞台事務所の名物男太田のおっちゃんも、それは面白いやろうやろうと大賛成である。

 作戦決行当日劇場には緊張が満ちた。 良重にバレてないかバレてないか。バレてない。

 いよいよ決行の時、開演20分前、良重が楽屋で大振袖を衣装さんに着せて貰っている、着付時間がその時だ。

 いつもの通り演出部が一斉放送をマイクで入れる。 出来るだけ無機的にいつも通りに。

「ウー、只今開演三十分前です。三十分前です。」

 3階の他の楽屋のれんから出る期待に満ちた顔、顔、顔。

 良重の楽屋入口の脇の廊下には大型業務用テープレコーダーがチャンと設置されている。そこには若手の音響さんがキチンと位置に付いている。

 10分が過ぎようとしている。楽屋の内をそっと覗くと良重は鼻歌まじりで今帯を締めてもらっている所。今だ。 私は音響さんにキッカケを出した。オープンリールのテーブが廻り始める。

 ジャンジャンジャン・ジャンジャカジャッジャジャー。 宝塚劇場中村兼藤さん指揮のオケの大音響が3階の廊下に鳴り響いた。 いつもはこの音で緞帳が上がり良重が踊る。

 次の瞬間凄まじい勢いで帯を半分締めた良が飛び出して来た。何か意味不明の事を口走っている。帯を後ろに長く引きずったままエレベーターに走って忙しくボタンを押す。 エレはなかなか来ない。良重は帯を引きずったまま横の階段を転げる様に駆け下りて行った。

 やった。大成功だ。周囲の楽屋から爆笑と拍手が湧き起こる。

 私は良重と同じ様に動転した衣裳の村のおばちゃんにテープレコーダーを見せて説明し平あやまりに謝まり、急いで良重の後を追った。下りたその場所が舞台の上手。開演前の舞台はガランとして跡の小道具部屋の入口の所で小道具さんが将棋を指している。

 良重はそのガランとした上手の舞台袖に茫然と立ちつくしていた。長くを引きずったまま。

 色々いたずらもやったが、ここ迄大成功することも珍らしい。 舞台事務所の入口ではみんな中から半身乗り出してゲラゲラ笑いながらこっちを見ている。

 「おや良重ちゃん、どしたの。まだ下りてくるの早いのに。」

 「チクショー、テメー、やりやがったな! 見てろよ!」

 私は横っとびに逃げて楽屋口から外へ飛び出した。

 大成功したがこれは高く付いた。

 私はジャケットを脱いで舞台事務所の椅子の背中に架けておいたのだがこれが油断だった。

 私が表からへ戻ったのはもう第1部が終った休憩時間だった。良重は第2部の芝居の衣裳化粧の替えがある、安全安全と呑気に戻ったら舞台事務所の手前からもう異様に強い香水の匂いがする。事務所ではみんなバタバタと何かで扇いで空気を外に出している。太田のおっちゃんが扇風機を両手に持って風を外へ出しながら、顎をしゃくって私のジャケットを示した。事務所の中は部屋中に満ちるとんでもない強い香水の匂いで満ち満ちていた。発生源は私のジャケットだ。

 聞けば良が下りて来て鼻息も荒く呪いの言葉を吐きながら、一瓶の香水をまるまる、私のジャケットに吹きかけたとのこと。香水は私も知ってるとりわけ匂いの強い”ミル”だった。とりあえずジャケットを着替え室のロッカーに閉じ込めたが、そんな事では匂いはとても収まらず、第2部でその部屋を使った出演者が、口々に何やこの匂い、どうしたんこれと聞いて来た。

 そのジャケットは私が夫先生から拝領した英国製の上物で、大事にしていた。 洗濯屋に出せば消えるかと待ったが、帰りの地下鉄は大変だった。私の囲りの数人特にオバサン方が、凄い非難の目で私をにらみ、私はジャケットを小さく丸めて車内をあちこち移動した。

 洗濯屋に2度出しても匂いは全然消えなかった。ジャケットは没にするよりなかった。

 私と良重は双方互いにザマアミロで手打ちにすることにした。

 

 菊田一夫が亡くなった日、もう人工呼吸器を付けられて、植物的になってしまった時間帯、慶応病院の病室でベットを囲む東宝の社員の面々の中に私も居た。長い沈黙の時の中突然ドアが大きく開いた。良重だった。叫ぶに、訴える様に、私たちに云った。

 「ほんとにもう駄目なの?どうにかなんないの?この先なんかあったら、誰に相談したらいいのよ。」

 可愛い女である。

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