中根公夫 愛しき面倒な演劇人 名プロデューサーが明かす知られざる素顔

早川書房「悲劇喜劇」連載中「プロデューサーの大遺言」

松重豊 幻のオセロー

ー愛しき面倒な演劇人 名プロデューサーが明かす知られざる素顔(11)ー(悲劇喜劇2019年5月号)

 この間の暮れも押しつまった時期、松重主演の番組を、2、3本たて続けに観た。 『孤独のグルメ』という評判のテレビ番組の特集だった。松重も売れて食える様に文字通りなったのはよかった、というのが私の第一印象だった。劇中彼はひたすら食っていた。物も言わずにおいしそうに。そういうキャラクターに指定されてのことだろうが、人の良さそうな、大人しそうな中年男を異和感なく演じていた。しかし私はその異和感の無さに異和感をおぼえた。こんなんじゃない、松重という役者はこんな役者じゃ無かったはずだ。幾多のコマーシャルに出て荒稼ぎをし生活も安定したあげく、テレビの対価として役者は摩耗する。そうなった松重のキャラクターに着目して、あの役に起用したテレビのプロデューサーには敬意を表する。 がしかし、彼は本当に良かったのだろうか。売れて、名前も知られ収入も無名だった昔を思えばめくるめく様なものだろう。黙々と幸せそうに旨いものを平らげる彼の横顔を画面にずっと見ていると、余計なお世話だろうが、本当に気になって仕方がない。

 20年以上も昔、松重はニナガワ・スタジオの役者だった。 蜷川に密着したプロデューサーとして、私は当然彼等と付き合いが深かった。将来性のありそうな者も、無さそうな者も、熱心な者もそうでない者も、私は等しく付合った。彼等はみんな若く貧しく腹を空かしていた。わずかなギャラを支払いながら、私はいつも今月何とか食えるか? アパートの家賃は今月払えるか?心の中で良心がうずいていた。いつか、彼等が食い物屋に入って、メニューの右側の値段表を先ず見なくても注文できる様にしてやりたいといつも思っていた。

 そんな中の一人だった松重豊は、しかし一味違っていた。丈高く、しかし背を丸めてはいず、頬は削ぎとった様にこけて、荒々しい大きな声とギラギラ光る飢えた獣の様な目を持っていた。いつも反抗的で粗野なのに、底にデリケートな優しさを秘めた、この者に私は将来期待するものがあった。

 私が思い描いたのは、先ずシェイクスピアの『オセロー』のオセローを何年かしたら松重にやらせることだった。ムーア人の若き将軍オセローはヴェネツィア人にとって異人種だ。松重のその頃の風貌は異人種たるにふさわしい、何処かの騎馬民族の一人か、ジャングルの奥地でか何かを食っている民族の様だったから、充分やっていける。こざかしく頭の回るイヤゴーや美人のデズデモーナとの落差も充分だ。私は数年後に期待し、蜷川幸雄に提案した。蜷川は「そうかー、いけるか、うん」とOKを出した。

 その後は『欲望という名の電車』のスタンレーがいい、などと実現する前から私の松重アイデアは拡がって行った。

 所が松重は突然失踪した。 『近松心中物語』ロンドン公演の稽古中のある日、我々の前から忽然と姿を消したのだ。 私は現場に居なかったが、蜷川のダメ出しに猛然と反発し、翌日から公演を降りて、スタジオもやめてしまったとのこと。

 逆にこういう役者が私は欲しかったのだ。今そのテレビ番組を観ているとそこに居るのは、世間と折り合いを付けて従順に背を丸め、心から幸せそうに口に物を運ぶ中年男だ。しかし私が今更この年齢で松重に何を出来る訳でもない。 彼は売れて幸福なはずだ。 全く余計なお世話だ。役で、演技でやっているのも分かっている。でも惜しい、居なくなった松重が惜しい。若い精悍そのものだった松を心から惜しむ。

 その頃現在の彼の予測させる様な気配は何ひとつ無かった。只現実に毎日腹を空かせ、ろくに飯を食っていないだろうことだけが見てとれた。彼の腹はいつもぺちゃんこに凹んでいたから、稽古中、ありあわせの紐で結んだだけのズボンが足元までズリ落ちて、パンツ一丁の姿になり、稽古場中が大爆笑となったのを思い出すくらいだ。

 飯を食っていないといえば、その時も彼は腹を空かせていたのだろう。JAL機の飛行中の機内でのことだ。 我々は『NINAGAWAマクベス』のロンドン公演でロンドンに向け飛行していた。食事の時間が来て、我々はJAL自慢の機内食を皆食べた。機内食はチマチマと数ばかり沢山あって、味はちっとも旨くない。私はいつも機内ではこれを苦手として、2品3品酒のおつまみに箸を付けると後は寝てしまう。 朝倉摂さんの様に、機内食は絶対に食べず、乗る前に空港で買っておいたお稲荷さんを食べる、という人も居る。

 私はそのフライトでいつもする様に、若い役者達が居るエリアを、食事タイムの後を見はからって見廻った。酔っぱらった奴が居ないか見る為だ。みんな食事が終わってそれなりに満足そうだ。 そう、機内食は若いみんなのいつもの食事より御馳走なのだ。酒を呑み過ぎた者も居ない。その時松重と目が合った。何か言いたそうだ。テーブルの上はきれいに平げてある。

「何だい松重」「いえあの、あの中根さん、これお代わり出来ませんか」「えっ、何、お代わり?丸ごと全部?」「エヘヘエ、はい」

 私は一瞬虚をつかれた。それ迄の人生で色んなことがあったが、機内食を丸ごとお代わりしたいという人にはじめて会った。現在のグルメの松重ではない、野獣時代の松重だ。私は面食らった反面、その時この男を心から愛おしいと思った。

 すぐにスチュワーデス(未だこう呼んでいた)のお姉さんに恐縮しながら頼んでみた。 「あの、お代わり欲しいって男が居るんですが、どうでしょう、数ありますかしら、若いんで足りないらしくて、お願いします」お姉さんはにっこり大きく笑って云ってくれた。 「大丈夫ですよ、予備がありますから。こちらの方ですか」「ええ、この大きい男です。済みません」

 お代わりの機内食はすぐに松重の前に運ばれて来た。彼は大きな身体で全体に覆いかぶさる様に食べ始めた。いい食いっぷりだ。その頃は未だ人の好い中年男が一口一口味わう様な食べ方では無く、若い獣が物にかぶりつく様な食いっぷりだった。私はこの男を矢張り好きになった。

 蜷川幸雄が立って来て云った。「松重、お前お代わりしたんだって。恥ずかしい。わー恥ずかしい。」しきりと恥ずかしがっている。 松重は構わず盛大に食い続けている。何の恥ずかしいことがあるものか。これが本来の松重豊だ。飢えを露わにして野性をかくすな。 松重よ世間と折り合い過ぎるな。

 松重豊よ君は精神迄飢えを無くして満腹したか。ひたすら食べるテレビドラマのヒットに心の底から満足しているのか。若いボクサーの様にハングリーで高貴だった君を忘れないで欲しい。八十の爺の余計なお世話だが、舞台に戻って欲しい。 まだ遅くない。演劇の仕事に帰って来て欲しい。私はまだ、死ぬ前に君のオセローを見たい。

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