中根公夫 愛しき面倒な演劇人 名プロデューサーが明かす知られざる素顔

早川書房「悲劇喜劇」連載中「プロデューサーの大遺言」

巨匠吉井澄雄の失敗

ー愛しき面倒な演劇人 名プロデューサーが明かす知られざる素顔(8)ー(悲劇喜劇2019年1月号)

 吉井さんは舞台照明の世界にかくれもない、うつ然たる大家・巨匠であって、その独り群を抜いてそびえ立っている。

 私は蜷川幸雄と仕事を初めた最初の『ロミオとジュリエット』の時、衣裳デザイナーの小峯リリーさんに紹介されて仕事を依頼した。以来長きにわたって『王女メディア』『NINAGAWA・マクベス』『近松心中物語』など数多くの蜷川の傑作の成立にたずさわり、というより蜷川演出の成立の中核をなす役割を果たされた。まことに日本の舞台照明は吉井以前と以後に於て、画然たる相異を示しているのである。

 蜷川幸雄は稽古場でよく、行き詰まって演出がうまくいかず、インスタレーションが成り立たない時、吉井さんに助けを求めていた。「ねえ吉井さーん、何かうまい手はない。ここは照明で何とかして欲しいんだよ。」「ようがす、やってみましょう。舞台稽古でやってみるから。」約束通り舞台稽古の時、明りが入ると世界は一変し、舞台は魔術に満たされた。『近松心中物語』の心中シーンが良い例である。 何も無舞台は吹きまくる猛吹雪と照明だけで、20世紀のうちでも指折りの名舞台となった。

 吉井さんはオペラなどの照明でよく海外でも仕事していたので、『王女メディア』をニューヨークで上演する事になった時、劇場はマンハッタンのセントラル・パークの中、ギリシア式劇場を模した野外劇場「デラコート・シアター」となったので、一も二もなく光の巨匠吉井さんの手腕にあらためてすがることにした。

 吉井さんはその時も他の海外での仕事と重なっているらしく、スケジュール調整を危ぶんだが、何とか明り合わせの夜ぎりぎりでニューヨーク着ということで間に合うことになった。

 当日夕闇せまる中、吉井さんは颯爽と現れた。「時差がひどいからお疲れでしょう」「いやいや、お呼びとあらばこのくらいの道のりは何のこともありません。さあ始めやしょうか」あたりを払う吉井さんのたたずまいに皆々圧倒され、多かれ少なかれ吉井さんの手下である照明さん・オペレーター達にさっと緊張が走った。つられてアメリカ人のスタッフ達もスイッチが入る。劇場は一気に臨戦モードに入った。

 『王女メディア』の幕明きは、梵鐘の音と共に2基のかかり火に火が燃え出すと共に始まる。野外公演の場合、かがり火は黒子を着た演出助手の村井が、どっかから調達して来たがガソリン(ケロシン・オイル)を薪にぶっかけて置いたのにポッと火を付けた所から音楽が入る。日の暮れ始めた野外の劇場でこれは仲々いいものだ。しかしこの晩村井は生来のルーズな性格から大きなインシデントの元になるミスをやらかした。ガソリンを入れた酒瓶を舞台監督控室の机の上に放置した。後で考えるとその瓶はジンかウォッカを呑みさした瓶に見えた。中には透明な液体が入っているのだ。村井と違って考え深い私は、それを見てふと危険を感じ、村井に注意した。 「そんな所にそんなものを置いといたら危ねえから下におろして置けよ。」確認しなかったのは私の責任だ。全てはここから始まった。

 長途のフライトに時差も加わって疲れていた吉井さんは、景気付けにアルコールを一杯欲していた。一杯やって眠気を払うというのは吉井さんに限らず、舞台稽古の徹夜の時はよくある話で、その昔の北条秀司や伊藤熹朔など大先生方はよくやっていた。只この時私に酒を出せと一言云ってくれれば良かった。

 私は現場をその瞬間見ていなかった。わずかに遅れて控室に入ると吉井さんはのどをかきむしって苦しんでいた。私は大あわてにあわてて、「ど、ど、どうしたんですか吉井さん!」「これ!これ」言葉にならぬ有様で吉井さんが指さしたのは、件のガソリン入り酒瓶だ。手まねで、飲んだ飲んだ、とやっている。 ウォッカか何かと勘違いして、ガブっと一口やったのだ。大変、たーいへん。ガソリンを呑んだら人体はどうなるのか私は知らない。でもとに角大変だ。 居合わせたアメリカの舞台監督は何とも複雑な顔をして事情を聞き救急車を呼ぶべく電話する。アメリカの救急車は走って来ながら応急処置を指図する。〝出来るだけ多量にミルクを飲ませろ!" ミルクはあるか。あった。舞台監督の夜食用と覚しきミルクを吉井さんは容器いっぱい呑んだ。それから何だ。 "吐け!"という指示。吉井さんはのどに今度は指突っ込んでげえげえやる。でも仲々うまく吐けない。救急車に乗せられた吉井さんと私は夜のセントラル・パークからマンハッタンのどまん中のビル街を突っ走る。何やらかっこいい。アメリカの救急車に乗って私はマンハッタンを突き抜ける。滅多に無い経験が、アメリカのテレビドラマみたいだ。疾走する救急車の窓の外にビル街の色が凄い速さで流れて行く。カッコイイ。こんな映画いつか見たっけ、と言ってる場合じゃない。眼前に寝ている吉井さんはしきりにゲホッゲホッと咳込んでいる。大丈夫だろうか。気管支の方に油が入ってただれると気管支が閉塞して死ぬ場合もあるとか云っていた。牛乳呑んだだけで大丈夫だろか。

 病院らしき所に着いた。吉井さんはトレイに寝かされて廊下をひた走る。 診察室らしい所に着いたが中に入れて貰えない。先客万来でしばらく待てと云われる。待てと云ったってこっちは救急だ。そんな間に気管支が、と思いつつ改めて見廻すと、あたりは凄い景色だった。ここはどうやら救急専門の警察病院、マンハッタン中の事故や事件のホヤホヤの当事者がかつぎ込まれて来るらしい。吉井さんの前にも廊下の片側に寄せられた男が血をポタポタ腹から出して看護婦がそれをガーゼで押さえている。そんなのが何人も順番を待ってい“腹から血“の奴は撃たれたらしい。これぞアメリカの刑事ものコジャックの世界だ。吉井さんはどうなるのだ。気をもんでいると廊下の向うから巨大なオッパイとお尻を突き出した180センチはあろうかという太った黒人の看護婦がノッシノッシとやってきた。「ガソリンを呑んだって奴はこれかい。何だってそんな馬鹿なことを。ガハハハ」私がしどろもどろ状況を説明しようとすると、うるさそうに手を振って、「ウォッカと間違えた? ガハハハ 馬鹿だねえ。 どれお見せ」 武蔵丸に似た看護婦は大きな両手を吉井さんの口に入れ、ガバと上下に引き開けた。懐中電灯で照らして顔を口の中に突っ込む様にのぞき込むと、「大丈夫だよ。 少し赤いようだけど気管支に問題ないだろう。ミルクを呑んだのが良かったかね。まあウォッカよりミルクの方がお似合いだろ。坊や、ガハハハ」大きなお尻をユッサユッサと振りながら怪我人やら看護婦やらで、タイムス・スクエアの様に混難した廊下を去っていった。

 吉井さんはそれきり見捨てられた。 ICUに入るでも、レントゲンやMRIといった器械に入れられるでもない。廊下の物凄い有様の中に放置されたままだ。どうやら急ぐに及ばない患者だと判断されたらしい。実際廊下の状態は野戦病院もかくやという程で、しばらく時が経っても誰も何も云って来ない。話しかけ様にも廊下を走るように行き来する看護婦たちの誰ひとり耳を貸す余裕は無さそうで、第一点滴の器械をかかえて走っているような人に怖くて声もかけられない。

 私は途方に暮れたが、しばらくしてようやく先の武蔵丸が通りかかった。勇気を振ってお伺いを立てる。 「アノ、スイマセン、 この人はどうすれば……」 「おやまあ、まだ居たのかい、帰っていいんだよ。ご覧の通りウチは忙しい。 帰んなさい。でも今晩はウォッカを呑まないようにね。 ガハハ…...

 事件は終った。 私は吉井さんをホテルに送った。道中吉井さんは全然口をきかなかった。マンハッタンの夜景も今度はちっともカッコよく無かった。

 にも拘わらず舞台稽古、照明合わせは吉井さんの弟子や日米のオペレーターたちの奮闘で無事とり行なわれ、仕事に支障は無かった。ニューヨークが朝になった頃、稽古は終りみんなが吉井さんの状態を聞きたがった。

 私は太った看護婦の話だけをした。 そうだ、病院が「刑事コジャック」に実際登場した病院だった。

#演劇 #プロデューサー #吉井澄雄 #舞台照明