中根公夫 愛しき面倒な演劇人 名プロデューサーが明かす知られざる素顔

早川書房「悲劇喜劇」連載中「プロデューサーの大遺言」

辻村寿三郎 ジュサリンという変人

ー愛しき面倒な演劇人 名プロデューサーが明かす知られざる素顔(8)ー(悲劇喜劇2018年11月号)

 辻村寿三郎さんは天才的な人形作家であると同時に、すぐれた舞台衣裳デザイナーであり製作者である。そのデザイン感覚は単なる衣裳デザインの枠を越えて小道具から舞台全体に及び、私は一時「アート・ディレクター」の名を冠して仕事して貰った。寿三郎さんの場合はデザインを画で、或いはデッサンで職人に渡すだけでなく、衣裳そのものの製作・縫製まで自分でやってしまう上に手縫いなのである。そして優しい愉快な変人であり奇人でもある。一番いい仕事は勿論、蜷川幸雄演出の『王女メディア』の衣裳である。この作品で我々は世界の扉を開き、蜷川が「世界のニナガワ」になる端緒

となったが、この寿三郎さんの美しくも奇怪な衣裳のオリジナリティが、世界を説得したのだった。

 寿三郎さんはよく名前の表記を変えた。古くは「辻村寿三郎」、近年まで「辻村ジュサブロー」、或は「ジュサブロー」。

 そして「『ジュサリン』と呼んで欲しい」と云い出した。さすがに公的表記にはしなかったが、内々みんなジュサリンと呼んだ。奇妙な違和感が可愛いといえば可愛いかった。何しろ坊主頭で和服の着流しだもの、人ごみで「ジュサリン!」と呼ぶと周りの人が振り返った。

 完全に天才肌のその仕事振りに引き換え、ジュサリンはお茶目でもあった。

 蜷川演出のハムレットの舞台稽古で、何十人の貴族達の衣裳がうまく行かなかった。大階段のセットの上の貴族達はに白っぽく、陰影に欠けた。「ヨゴシ」が大幅に必要だった。稽古はストップし、帝劇の広い客席と舞台は地アカリとなって蜷川は怒鳴りまくり、人々は緊張した。 衣裳デザイナー・ジュサリンはタンクトップの様なものを着て、筋肉ムキムキの裸の胸から肩をムキ出しにし、かしこまったフリをし

ていた。蜷川がアイスコーヒーのストローでジュサリンの裸の肩をピシリピシリと叩いた。ピシリ「おじさん。」 ピシリ「ちゃんとやってよ。」

 ジュサリンは衆人の真中で叩かれながら、蜷川をニタリと見て云った。「もっとびっくり!」。

 蜷川は床に倒れて絶句した。ジュサリンは追討をかけた。「ねえ、一緒に住まない?」蜷川は悶絶して稽古は一時中断。皆々何十人分の貴族の白々した衣裳をヨゴス為、帝劇外の歩道に運び出しスプレーをかけたり絵具で汚したり。ジュサリンはウフフフなどと笑いながら涼しい顔でスプレーをシュッシュとやっている。緊迫した舞台稽古の真最中の話だ。

 水の好きな人でもある。矢張り別の舞台稽古のさなかに突然の様に云う。「川の中にもぐってね、水の底から満月のおさんを見上げるときれいよー。」

 実際ジュサリンが仕事にからむと雨が降る。それも機嫌が悪いと特に降るのだ。私は何度も野外公演で苦杯をなめた。築地本願寺での『オイディプス王』の野外公演では、1週間公演日程のうち、3日間まるまるドシャ降りだった。昼過ぎから降り出したから当然客足にひびき、公演は大赤字となった。この時蜷川とジュサリンはかつての蜜月の時代を過ぎ、衣裳の出来のことでひどくもめていた。雨は毎日容赦なく降った。「辻村さんお願いう弁してよ。雨止めて。」「知らないよあたしは。」

 ジュサブロー・カンパニーの人形劇のイタリア・フランス公演に私はついて行った。最初はイタリア中部フィレンツェ近郊のフィエーゾレという町だった。我々が着いた時、そのあたりのトスカーナ地方は未曾有の渇水で大変なことになっていた。水道は時間を決めてしか出ない。農家はお手あげで、教会で毎日のように雨乞いのミサが行なわれるが、効果はゼロで早や2カ月以上。乾いた熱風が吹き荒れて人形芝居

どころではない雰囲気。それでも湿り気たっぷりのジュサブロー人形劇はフィエーゾレの野外ギリシャ劇場で上演の運びとなった。私はイタリアのプロモーター・マリオに、ジュサリンの雨ふり神通力を語って聞かせ、芝居の為には困るけれど、トスカーナ地方の人々には奇蹟となる、降雨の可能性を、半分冗談で無責任にしゃべった。お調子者のマリオは早速それを新聞記者達に得意になってしゃべり、よせよ責任も

てないよと私が云うのに、辻村ジュサプローは雨乞いの奇蹟を現わす聖人のようになってしまった。

 開演の時間がせまり、夕ぐれの空は不思議や曇ってきた。マリオは興奮して走って来て云う。空がおかしい、それにフェデリコ・フェリーニが見に来てくれた。フェリーニが客席に居る!開演30分、人形芝居はしめやかに進行している。と、突然。何とポツリポツリと大粒の雨が降って来たではないか。そして数分後、雨は本格的なドシャ降りとなり、人形芝居は中断。人々は劇場周囲の木陰に走り込む。みんな興奮して嬉しそうだ。 2ヶ月振りだもの。新聞記者達はもっと興奮して、ジュサブロー———大芸術家———超能力者を論じている。フェリーニは雨の中で悪戯っぽい笑いを浮べながら、「真の芸術家には時々こういうことが起こるものだ。」などと新聞記者をからかっている。

 雨は三十分程槍が降る様に続いてから止んで芝居は再開。無事終演となって、フェリーニはジュサリンを抱きしめ賞讃の嵐を浴びせて坊主頭にキスをする。人々は興奮さめやらず異常な状況の中で、一際芸術性の引き立った人形芝居を誉めそやしながら、雨の匂いの残る中を家路について行った。

 翌朝の新聞は大変だった。日本の芸術家が生んだ真の奇蹟。 2ヶ月半振りの雨。シニョール・ジュサブローの滞在をもっと長く。

 ジュサリンは例の如くウフフフと笑いながら「私は知らないわよ、一生懸命人形遣っていたら自然に雨が降って来たんだもん。」 涼しい顔でうそぶいている。

 人々の興奮おさまらぬトスカーナ地方を後に、次の公演地は南仏プロバンス地方のアヴィニョン市。名高いアヴィニョン・フェスティバルに参加するのだ。

 ところがプロバンス地方でも異常気象の状況はトスカーナと全く同じ。渇水状態はトスカーナにも増して3ヶ月に及び、野外公演の多いフェスティバルには逆に幸いするものの、事はすでに行政当局の問題になっていて、一般の生活は勿論ホテル・レストランなどの運営に支障が出ているとの事。街を流れるローヌ川の水かさも減り、ここでも教会は雨乞いミサに人が満ちている。

 ここで張り切ったのが軽薄なイタリア人プロモーター・マリオだ。よせばいいのに記者懇談会のようなのを開いて、フィエーゾレでの雨の1件、ジュサブロー魔人伝説を頰を赤くして吹きまくったのだ。当人は芝居の宣伝の為の話題に考えていたのだろうが、たまらない。フェリーニまで引き合いに出して雨は絶対に降ると請け合ってしまったのだ。ここはイタリアではない。シニックで冷笑的なフランスの記者達に、時の話題として絶好の標的を与えてしまった。 魔力だそうだ。面白い、見てようじゃないか。降らなかったらどうする積りだ。開幕前の各紙には「東洋の魔術」をからかい冷やかす記事であふれた。

 大ごとになってしまった。これはもうジュサリンに真剣に頼み込むよりない。「辻村さんお願い、大変なことになっちやった。これはもう雨降らすよりないよ。」「知らないよ私。」「そんなこと云わないで、人の為にもなることだから。」幸いジュサブロー・カンパニーの公演は市立劇場の中、屋内公演だ。雨の降る降らないは関係ない。我々は気を取り直して公演の仕込みに働いた。

 暗闇の中で照明の仕込みをしていると入口の辺りが騒々しい。何を騒いでいるのかと出てみて外の時計広場を見ると、雨だ!雨が降って来た。強い雨足だ。人々は広場にり出て、みんな上半身裸になって雨を浴びている。久し振りのシャワーだと。雨の中で踊っている人も居る。 さっき休憩時間にジュサリンは1人広場の消火栓に着流しで腰掛けて足をブラブラさせていた。あれがアヤシー。雨は益々強まる。30分も経つと只事でない雨になった。日本の集中豪雨もかくやという猛烈な雨足となり、石造りの広い時計塔広場はたちまち水深5センチ程の湖になる。 水はけは考えられていないのだ。1時間程してフェスティバルのディレクター、ベルナール・フェーヴル=ダルシエ氏が雨中びしょぬれでやって来た。貴族出身の文化省の高級官僚フェーヴル=ダルシエがジュサリンに懸命に真剣に両手を握って頼み込む。「ムッシュー・ジュサブロー、分った、あなたの普通でない力はもう分った。誰ももうあなたのことを嘲笑したりなんかしない。あなたは本当に奇蹟を実現する人だ。しかしフェスティバルは大変なことになった。 法王庁の中庭も石切場もその他の修道院や学校の中庭も、野外の会場のは全部中止です。あなたを馬鹿にした者たちは皆深く後悔しています。どうかこの位で雨を止めて下さい。」ジュサリンはこの上品なディレクターに好意を持っていた。「ベルナールさんがそう云うなら。」この時始めて自分の能力を認めた。 程無く雨は止んだ。この大雨でアヴィニョン市は甚大な被害を受けたが、受けた恩恵の方が大きかった様だ。人々は大きな戦争でも過ぎたかの様に表へ出て雨を祝いあった。批評は芝居に好意的だったが、雨のことは触れていなかった。

 今ジュサリンは広島の病院で病いを養なっている。先頃通り過ぎたあの辺りの豪雨を思うにつけ、ジュサリンの回復を祈るのである。

 ジュサリン、早く回復して機嫌良く人形造りのお針を動かしておくれ、あなたの造った最近作の人形「マリー・アントワネット」は真の天才の傑作だ。あなたの希望通りヴェルサイユ宮殿に飾られる様取り計らうから、一緒にそれを見に行こうよ。

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