中根公夫 愛しき面倒な演劇人 名プロデューサーが明かす知られざる素顔

早川書房「悲劇喜劇」連載中「プロデューサーの大遺言」

近藤正臣 近ちゃん

ー愛しき面倒な演劇人 名プロデューサーが明かす知られざる素顔(12)ー(悲劇喜劇2019年9月号)

 “近ちゃん”とみんな呼んでいた。 楽屋裏での話だ。 演出助手も衣装さんもプロデューサーも大道具さんも、みんな近ちゃんが大好きだった。役者にありがちな理不尽な文句を云うことも無く、何だか分からず不機嫌なことも無く、いつも柔らかい笑顔で舞台を真面目につとめる。近ちゃんが座頭の一座だと、いや主役でなくとも主要な役で一座に入っているだけで、一座はもめ事も無く、不和やけんかがあっても近ちゃんが気を遣って、巧みに処理しろまく収めてしまう。彼の居る一座はたいてい楽しいやかな1ヵ月なり2ヵ月なりの千秋楽を迎えるのだ。そういう意味で、彼は稀有の役者だと云とえる。

 という定義が当てはまらない場合も時にはあった。

 ここに1人の若い女の子が居た。なぬ、と色めいてはいけない。若いといってもうんと若くて、彼女はこの頃3才から5才であった。私のアシスタント、 "みさ”の娘で”まな”ちゃんという。 みさとまなは母子家庭であるからみさは仕方なく、まなをよく職場に連れて来た。日曜日など一緒に劇場入りして朝から夜の部の終演まで1日中まなちゃんは劇場の楽屋裏にちょろちょろしていた。3才や4才の女の子は可愛い。みんなが可愛がって、まなちゃんは衣装さんの段ボールや行李の中で寝たり、床山さんの仕事場にチョコンと上がり込んで一緒に何か食べたりした。

 裏方さんに役者達もみんな競ってまなちゃんにお菓子や時にはおにぎりなんかをあげた。まなちゃんはいちいちちゃんとお礼を伝って、お母さんに見せてから食べた。それが又入気を博し、 まなちゃんはいつも何か食べ物を手にしていた。

 すると近ちゃんが出番を控えて通りかかる。 まなちゃんもやっぱり近ちゃんが好きだったから、ニコニコ笑っている。すると、

「おう、旨そうなもん食っとるやないの、何食っとるの。1個くれや」

 まなちゃんの返事も待たずに近ちゃんは彼女の手からお菓子なりおにぎりなりを奪いとる。パクッと自分の口へほうり込むとそのまま急いで舞台の方へ行ってしまう。まなはびっくりして声も出ないで口をあんぐり開けて大好きだったはずの近ちゃんを見送る。泣きはしなかった。しばししてからママを探し、見つけて訴える。

「こんちゃんがおかしとった」

 こういう事案が何度も重なり、まなちゃんはお菓子を持っている時近ちゃんの姿を見ると人影にかくれるようになった。 3才の女の子にとっては大事件だった。

 それが証拠に、今二十一才の華麗な娘に成長したまなは、3才~5才の頃に何度も遭遇した同一犯による同一の犯行をよく覚えていて、「近ちゃんは私のお菓子をとった」といまだに云っている。

 こういう近ちゃんの大人気の無さは幾つになっても変わらないようだ。

 ずっと昔、60年安保の夏、私は京都の撮影所でアルバイトをしていた。その時私は20才、青春の真只中だ。松竹下加茂撮影所で日仏合作映画の通訳の仕事は楽なもので余暇の時間も充分あり、私は20才の京都を存分に楽しんだ。ということはつまりモテたということだ。その頃の私は学習院大学内でも巷でも、美少年で鳴らしていた。今だったらさしずめジャニーズ系でどうとやらというくらいのものだった。

 近ちゃんと何かの雑談から稽古場で、ということはずっと後平成時代になってから、『七人みさき』の時だった。京都の喫茶店の話になった。

「近ちゃんそういえば四条小橋に“ソワレ”という店あったよね」

「あるある今でもある」

「え、今でもあるの。俺あの店にずいぶん入り浸った。シャレた店だったよな」

「何あんたあんな所に女連れ込んで悪いことしとったんか」

「連れ込んでない連れ込んでない。“ソワレ”の女の子と仲良くなった」

「なにい、ソワレの女の子と仲良くなったあ。許さん。許せへん。俺の縄張りうちやないか」

「縄張りって近ちゃん京都の何処の生まれかい」

「何処って三条木屋町や。“ソワレ”は歩いて3分、四条小橋は俺の遊び場や、地元やないか」

「その頃いくつぐらい?」

「十八才かそこらや。その辺一帯ブイブイ云わせとった頃や。 “ソワレ”かてずいぶん行った。そこの女をよおまあ、許さん」

「そりゃまあ悪いことしましたけど、要するに俺が美少年だったから、成り行きで、仕方ないじゃん」

「美少年であんたよう言うわ。俺のその頃に比べたらなんぼのもんじゃ。知らんやろ俺のその頃」

「まあまあ」

 私はプロデューサーといえ素人、近ちゃんはプロの役者だ。そんなにムキになるところが可愛いのだが、翌日なんと近ちゃんは昔の写真を稽古場に持ってきた。若い役者たちにどんなに昔自分が二枚目で売れたかを講釈している。 写真の中には、かの有名な、ピアノの鍵盤の上で素足で踊るシーンもあって、私も付き合い上、そのシーンがどんなに評判になったかみんなに説明した。

 やっと近ちゃんの機嫌は直り、私は自分より近ちゃんの方が若い頃ずっと二枚目だったことを公式に認めた。しかし私の腹の中には、ムズムズしたものが残り、言ってしまった。

「でもねこのちょっと後くらいの頃、もう東宝で仕事してたけど、俺ファンファン(岡田真澄)と競って、勝ったことがある」

「なにい、ファンファンと競って勝ったあ?いい加減なこと言いな。そんなあり得へん。そのファンファンいくつや」

「さあ30才ちょっと過ぎたくらいかしら」

「そんなんファンファン最盛期やないか、あり得へん」

 またムキになる。大人気ない。そっちはプロだろうが。笑ってあしらえばいいではないか。私は近ちゃんがムキになった時の可愛さを見たいがために、わざと挑発していた気味がある。

 この大人気なさはずっと続いて、最近に至っている。

 今は無き“ダイエー”が作った”新神戸オリエンタル劇場”の開場公演を頼まれて、蜷川幸雄演出の『仮名手本忠臣蔵』を3カ月、開場の10月から12月まで、近藤正臣主演で神戸で上演したことがある。

 新神戸駅に接続した建物での上演は、神戸の街中からは離れているし、楽屋は手狭だし、蜷川さんだから出演者は80人強と多いし、第一、3ヵ月と長いし、みんないい加減フラストレーションのたまる公演だった。でも近藤さんは例のごとく一座を率いて颯爽と、あちこちの面倒な役者達には気を配り、30何人もバアサン役で出ている若い女性達にはメシをおごり、大過なく3 ヵ月が過ぎようとした12月の24日、クリスマスイヴの日に私は劇場に居た。近ちゃんに休憩時間の聞いた。

「近ちゃん今晩どうすんの、体空いてるならどっかメシでも食いましょうか」

「せっかくやけどな、今日はイヴや。誰か若い子連れてクリスマスディナーにするから、あんたとのメシはまた今度」

  そらそうだろう、天下の二枚目が、今中年の身とはいえ押し出しも立派な主役の大星由良之助。3 ヵ月も神戸くんだりの劇場に閉じこめられて、40人も居る女の出演者の一人や二人、イヴのディナーに誘われて否やのあろうはずがない。劇場の建物の中にはレストラン街もあるし、今日は深夜営業もしてるだろう。勝手な妄想で、てっきり近ちゃんは素敵な一夜を過ごしたとばかり思って、私はひとりラーメンをすすって東京のかみさんに電話をし、早く寝た。

 その翌朝、ラーメンで空腹を覚えたので、私はいつもは食べない朝飯を食いにホテルの朝食堂へ行った。遅い時間だったが食堂はカップルでほぼ満員状態。ふと見ると近ちゃんがひとりでカップルたちの中に座っている。何やら機嫌が悪そうだ。あの大人気ない近藤正臣のモードに入っている。

 私の顔を見るとホッとしたように尻をずらして隣を開ける。

「おはよございます」

「おはようさん」

 明らかにが悪い。第一昨日の今日だ一人で居るのが異状だ。誰かと二人で居るのをはばかったのか。いやそんな姑息な人ではないはずだ。

「どしたの、ひとりで」

「どしたもこしたもあらへん。まあ聞いてくれるか」

「聞く聞く。どしたのどしたの」

「ゆんべあれからメシ食う相手を何人か口かけてん」

「それでそれで」

「そしたらな、どいつもこいつもみんな断わりよった。先約あるとか何とか理屈つけて。おれが3ヵ月あれだけ手なづけた奴ら全員断わりよった」

「近藤さんでもそういうことあるのかね。ひどい話だ」

「それでな俺ももう大人や、そういうことも世の中あるとあきらめて、一人でメシ食うよりしゃあない。その辺のレストランに行った。行ったらどうや、どの店もどの店もみんな満員ですと言いよって、中をのぞくとどこもここもテーブルにローソクかなんか立てよって客はどいつもみんな2人連れや。俺頭来て、もう今夜はしゃあない、ホテルへ帰ってルームサービスでもとって寝よ、思うて帰った。部屋のメニュー見た。夜のルームサービスいうたら鍋焼きうどん位しかあらへん。電話かけよとしたその時思うた。近藤正臣が、 クリスマスイヴにひとりでルームサービスのうどん食ってると、ホテルの奴に思われるのが情けのうて、うどん2つたのんだ。うどん来てドアをノックした。その時クリスマスイヴの夜に近藤正臣がひとりでルームサービスのうどん2つたのんだいうのんがバレるやろ。 そこで急いでバスルームのお湯出して音立てて、2人いるみたいにして、そいで結局うどん2つ食った。そん時うどん食いながら急に情けのうなって、そんだけ細工してうどんひとりで食ってる自分が無性に情けのうなって、分かるか、なあ分かるか」近ちゃんは実の所私と同じ位奥さん思いの愛妻家で、イヴの夜あたりは東京に電話しない訳がない。その辺りどうなったのかそれもギモンだ。

「そいで今朝になって朝メシ食おう思ってここへ来たら、見てみい、これ見てみい、どいつもこいつも2人連れで目の下隈つくって。女はゆんべのしおれた花束まで持ってる。こいつらみんな全員やりよってん。夜通し朝までな。そやからあんな顔してメシ食っとる。そのまん中にひとりで座ってた俺の気持ち分かるか。 分かるか」

「まあいいじゃない、若いもんたちがああやって夜通し盛り上がって、世のなか平和な証拠だよ。俺達の時代は去ったんだ。大目に見てやんなさいよ」

 私の見当違いの慰めも耳に入らず、近藤正臣の憤慨は止まる所を知らず続いた。

 ムキになると本当に大人気無く、それこそ近藤正臣の可愛気の本質が露になる時だ。

#演劇 #プロデューサー #近藤正臣 #仮名手本忠臣蔵