中根公夫 愛しき面倒な演劇人 名プロデューサーが明かす知られざる素顔

早川書房「悲劇喜劇」連載中「プロデューサーの大遺言」

愛すべき面倒な人

ー追悼・平幹二朗ー(悲劇喜劇2017年3月号)

 平幹二朗が名優であり、名優といえば平幹二朗と相場が決まったのは、そんなに昔のことではない。やはりそれは蜷川幸雄との出会いがあり、『三文オペラ』や『ハムレット』などを経て、『王女メディア』『近松心中物語』『NINAGAWA・マクベス』『元禄港歌』と連続した、1978年から1981年に至る蜷川幸雄の黄金時代の作品群を全て主演し、それらを名作たらしめるに与った時代からであろう。因みに私はその全ての作品をプロデュースし、平幹二朗を起用した。縁は深い。更に私はその頃日本の現代演劇の海外公演を思い立ち、『王女メディア』『NINAGAWA・マクベス』『近松心中物語』の三作の海外公演を実現した。最初の2本は蜷川演出・平主演であり。益々縁は深くなり、私は平幹二朗と年がら年中付き合う破目となった。

 中でも海外公演の1発目『王女メディア』は思い出深い。1978年初演のこの芝居で平幹二朗は決定的に名優となった。実際ギリシャでのアテネの評価、スコットランドのエディンバラのフェスティバルでの評価は、演出については無論のこと、平の演技についてもこれ以上のものは望めないほどであった。アテネでは、ギリシャの千田是也に当るカロロス・クーンという老演出家が、平幹二朗が様式性とリアリズムの狭間の尾根道を登りつめる様なメディアを演じ切り、古代の悲劇を現代で上演する手本を示したと絶讃した。ギリシャ人が、日本人のギリシャ悲劇で、覚醒したのだ。

    ここに於いて、平幹二朗は名優となった。

    しかし只では済まない。天才と狂人は紙一重。名優と変人は殆ど同義語である。この公演頃から平は変人ぶりをいかん無く発揮し出した。

 生肉と酸素と点滴が無いと芝居が出来ないとゴネるのである。

 生肉は毎日芝居が終ると、夜中にどこの国のどんな街にようと必ず食べたいと要求する。開演前に食べるというのではない所が不思議といえば不思議である。普通この手の名優は、そういう人が多いのだが、大抵開演1時間とか2時間前とかに、ステーキを食べるとか、うなぎを食べるとかするものだ。彼の場合は生肉。勿論牛の、それも夜中の11時とか12時とかである。私は往生した。食べられなきゃ明日は出ないと脅されたって無い時は無いのだ。第一レストランはもう閉まっている。生肉を食べる文化の無い国だってある。夕方から電話にかかり切って、お前のレストランは何時迄開いている、生肉のメニューはあるか、そこをなんとか出してくれ、食中毒の責任はこっちが引き受けるから……。

 救いはいつも韓国レストランだった。何時迄?午前2時迄。ユッケはあるか?ある。たすかった。その街に韓国人さえ居れば何とかなった。所が本人はまたゴネ出す。「またユッケ?」「これしか生肉ないから」「いいねプロディーサーは。毎日好きなものが食べられて」好きなもの食べてないじゃないか。毎晩ユッケに付き合ってるじゃないか。終演後アッという間にみんなは散り誰も平さんのユッケに付き合わ無い。そりゃそうだ。ユッケ以外のもの、例えば「僕はサムゲタン」などと注文したら怒るのだもの。3日もユッケに付き合ったら、いいかげん気持ちが悪くなる。

 こうして生肉三昧の平幹二朗は翌日もあの素晴らしい美声で、一歩また一歩と名優の地歩を固めていったのだった。これは生理というより信仰の一種だったのだろう。何しろ朝になれば頰に当たる風の具合が違うと云うのだけど。

   もう一つの信仰は酸素であり、更に点滴である。あれだけのセリフの量を全力を以て出し切るのだ、体内の酸素の割合が低下して失神寸前になる(実際初演の舞台稽古の時失神した)。と分るような分らなぬような理屈をともない、これも何処へいっても楽屋に巨大な酸素ボンベを用意させる。小さなミニボンベでは足りないと云って、そうあの1米以上あるボンベでなければ安心出来ない。『王女メディア』は出ずっぱりの舞台だから、合間に息を抜いてということは成程出来ない。それでも大オーバーのゼスチャアでごきげんのカーテンコールを毎回終わった途端、大変な勢いで楽屋に駆け込んで来て一直線、ボンベからたれ下ったチューブをくわえ、スーハーゼエゼエとこの世の人とも思えぬ末期の呼吸で酸素を吸い込む。ウチの父親は肺ガンの死に際だって、こんなに凄くはなかった。

 ゼエゼエを数分、思う存分にオクシゲン吸入をやったあとケロリとした顔でメークを落としている。「平さん大丈夫?」「だめ。……今日も又ユッケ?」「今日は違う。イタリアンレストランのカルパッチョにする?」いそいで出てフレンチのタルタルステーキにする?」「勿論タルタル。今日はいいね、それなら明日も出られるかも……。でも点滴は?」「支度できてますよ。でも点滴やるとタルタルステーキは間に合わない」「……フン」

   点滴も信仰の1つだった。これにも往生したものだ。終演後、ビタミン栄養素その他もろもろのミックス点滴を受けないと身体が保たない。明日は出られないかも、云々かんぬん。

 準備しようじゃないの点滴だろうが注射だろうが。所で何で注射じゃ駄目なんだ?

 点滴は時間がかかる。レストランは特に外国では待っちゃくれない。更に外国では点滴そのものの用意に手間がかかる。点滴をするには医者の処方が要る。医者「その患者はそもそも何処が悪いのだ。何の病気だ?」私「それが別にどこも悪くはないと思うのですが、本人は役者で、それが本人の強い希望で……しどろもどろ」。医者「真面目に話をしよう。私は医者だ。今は夜だ。救急を要する患者が居る訳ではない。ビタミンなら錠剤を2、3呑めば済む。さよなら」ガチャン。かなりの勢いで電話は切られた。カナダはヴァンクーバーでの話だ。大変なんですよ、生肉も点滴も。結局ユッケとか、日本人のヤミ医者を探し当てたりとか。何かと無事に名優のモチベーションを下げずにやってきた。こういうのを変人と云わず何と云うのでしょう。

 平さんの葬儀は青山で盛大にあたたかく、美談としてとり行われた。私も美談に参加し、この老名優の死を心から惜しんだ。あと一本平幹二朗でなければという企画をやり残した。亡くなる直前平さんに話したその企画に平さんはノッていた。私は大成功を予感した。葬儀の席上私は思い出していた。壮年の俳優平幹二朗が、あんなにも自分の体に気をつかい、生肉だ酸素だ点滴だと駄々をこねたのに、80才を過ぎてあんなに元気に舞台をこなしていたのは、やっぱり平幹二朗は極め付きの名優だったのだ。そして役者という種族は、プロデューサーにとって耐え難く面倒な連中だけど、結局は愛すべき人々なのだ。代表的な例が平幹二朗なのだ。

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